2012年8月30日木曜日

SOHOの夏

前回記事が5月末。
消防団に入り、そのまま消防操法訓練に参加し始めた時期である。

ということで、少し思い出にふけってみようかと。


【きっかけは?】
友人の結婚式で一緒の席になった同級生Kが全ての根源w
いきなり消防団入ってくれないかと言われ、最初は意味が分からず、結婚式という場でもあるので、あとでゆっくりお話聞かせてくれ、とその場はやり過ごした。
数日後、どう?考えてくれたかな?とメールが。
もう一人の友人Hと二人で、時間作って話を聞く事となる。

その場には副分団長もいた。

そこで飲みながら食いながら、団の状況や具体的な仕事などを聞く。
是非入ってくれ、と、入団手続き書類まで用意されていたが、時間をもらいたいということで一度保留とさせていただいた。

結局、入団を決意したわけだが、当時から、断る理由がない、ということが頭にはあった。


【消防操法】
操法ってなぁに?という状態だったので、ビデオを見たり資料を見たりした。
早い話が、ロボットのごとく消防活動における基本動作の形式美を競う大会、なわけだが、最初訓練に参加した時は、この人達はすごいな、よくやれるな、俺には無理だわ、ってくらいの印象だった。
だが、時間がたつにつれ、他の分団の「キレ」や「正確さ」「スピード」など、比べればきりがないくらいに奥深さがわかってくる。
そこに魅了されていく不思議な魅力と、現実の厳しさが常につきまとうものだな、と感じた。


【大会参加】
まずは上十三地区の優勝が最低限のステップであり目標だった。
優勝チームのみが県大会出場の権利を得る。

高得点の条件は多種多様。
まさに総合力がキモなのだが、その中でも「節度」と「スピード」が最も重要視されていると考える。
節度はひとつひとつの動作を早く正確に行わなければならない。ただ、あまり丁寧すぎると時間ばかりが過ぎる為、そこにスピードが要求される。
ただ、スピードを重視しすぎると節度がおろそかになるという、少し矛盾めいた話にもなってしまうが、同時に高めなければ得点に繋がらない。
これを極めようとすると、極端な話、キリがないのである。
ある程度の限界を見極め、部分的に底上げをするという方法をとるしかないわけで、そこをいくと、我が分団のタイムとしては全国レベルには少し届かないといった現実が見えてくる。

ただ、地区大会といった枠で言えば、かなりハイレベルなところまで訓練されているので、優勝候補といって間違いなかった。

結果、優勝することができたが、いくら地区大会とはいえ、不安やプレッシャーは相当だったろうと思った。
地区大会後の慰労会にて、関係者の皆さんからものすごい賞賛の嵐。
思っていた以上に、関わっている人の多さにただただ驚いていた。
そして、選手の皆さんから、普段は口にすることのない(真面目に語らない)、操法に対する思いを聞くこともできた。
そしてそれは、最後の最後までぶれることのない信念であったことと今、改めて思っている。


8/29 県大会。
青森の消防学校敷地内にて行われた。
まだまだ残暑の厳しいこの時期、日差しはきつく、人も機械も限界突破寸前だったと思う。
事実、我が分団が終わり、横にはけてからエンジンチェックをしたら、エンジンがかからなかった。
まさに紙一重だった。本番でこれが起こったら、本当に悔やみきれない思い出が残っただろう。

撮影班なので、小型ポンプ操法に出場する全分団のビデオ撮影をした。
カメラ越しに、他の分団のレベルの高さが伝わる。一気に不安に襲われる。
入賞とまでいかなくとも、健闘して欲しい。納得のいく結果を残して欲しい。

普段は早朝ということもあり、静かなところで、声も通り、淡々としたものだったが、
会場はまったく別次元だった。ポンプ車が何台も配置され、水上げやエンジン音に声はかき消され、
同時に操法を行っている他分団の叫び声ともとれる鬼気迫る掛け声。
この雰囲気に、自分だったら飲まれていただろうと思う。
その中での、プレッシャーがピークの状態での、普段通りの操法ができた選手の皆さんは本当に素晴らしかった。

そして、県のレベルを肌で感じることができ、貴重な体験をさせてもらえたことに感謝している。


結果、4位であった。3位と僅差で負けたが、誰も不満をもらさなかった。

大会を終え、本庁舎へ報告をしに行く。(副町長)
集合写真を撮り、屯所へ荷物を降ろし、全ての行程が終了した。
操法の夏が終わった。


おつかれさん会ということで、町内某居酒屋へ。
それぞれの挨拶・感想・総評を聞く。

メインメンバーは4月から練習を開始したわけだが、そこから様々な苦労や苦悩があった話。
やり遂げた事による解放から、涙する団員もいた。

この瞬間を体験できるのは、これからの人生でもそうそうないだろう。

次、操法をまたやることになるのは何年後かわからないが、その時まで団員としていたら、
おそらく選手として出場する・・かもしれない。が、今はただ、終わった事をゆっくりと実感していきたいと思う。


団員さん、署員さん、本団のみなさん等々数えきれない関係者様、ありがとうございました。