2012年2月26日日曜日

広瀬隆氏講演会

すっかり毎度様となっている、八戸市で活動しているピースランド主催の講演会。

「今こそ知りたい!vol4 広瀬隆さんに聞く 福島から広がる放射能の恐怖
                     そして再処理工場の閉鎖と青森の未来への道!」

大震災後から講演会に足をちょくちょく運ぶようになりまして。もっぱら放射能関係だったり
するんですが、無知な愚民風情のワタクシにもわかるような言葉で説明して下さるので、
結構それが心地良かったりするんですよね。

一歩間違うと、某ミンス党のような「耳障りの良い」キャッチフレーズ的な話にもなりかねない訳ですが。
さすがにそのへんの分別はつくようになってきていると思い込んでいますので大丈夫かなと。

今いろんな人いますよね、反原発と、推進と。
さらに、反原発の中にも、ホントに心配してんのかな?というヒトから、ホントに心配してんだな、
って人までまぁまぁごろごろ出てまいりました。

そやって、いろんな人の話をすべて真に受けてしまっていると(真剣に捕らえてしまうと)
そりゃもともと頭のキャパ少ない俺には無理なわけですし。すべて受け止めるのは。
だから疲れちゃうわけですよね。一瞬か、一生か。それは人によりけりですが。

んで、俺なんかは特にめんどくさがりーなんで、結局誰がホントのこと言ってんの?って
疑問から抜け出さない限り、それ以上詰め込むことをとりあえず止めちゃうんですよ。

でもやっぱり詰め込まない限りはその疑問から抜け出す答えを自ら見出せないわけで、
それに気がついてまたちょっとづつでも興味を持っていくわけで。これの繰り返し。

一番始末に終えない(というか残念な)のは、途中で「完全に止めちゃう」事なんだよなーって。
誰のためにやってんだろ、とか、結局自分一人じゃなんもできねーし、誰かがやるだろ。っていう、
この思考に陥ってしまうとその人自身、ゲームオーバーじゃないんかなぁ、と。
今は一人かもしれないけども、そのうち誰かが共感するかもしれないよな、とか、
死ぬまでに一回は政治家様に物申してみたいよな、とか、前向きな思考を削がれないように
するのは、外圧的なものも確かに大事だけど最後は自分の意思であり気持ちの問題。
だけど、生きていくのに必要かどうかってミスリードされがちな話題でもあるし、そこまで言われると
そうですねハハハって流すしかないよなって思ってはいる。(そこまで言える立場じゃないから)

でも、自分の人生、線か点かの捕らえ方でだいぶ考え方も似たり似なかったりするよなぁと。
クヨクヨいつまでも過去のことで悩むような人は、線でしかとらえていないそうだ。(大雑把にいうと)
逆に、点でモノを見る人は、今まさにこの瞬間にすべきことをきちんと判断できて、それが
継続されることで自然と線となる、そういう人なんだそうだ。

震災直後、自分の人生なんだったのかと振り返りつつも、これからの人生はどうすべきか、という
線と点の狭間にいたような気がする。今思えば。
でも、そんなこと急に考えたって始まらないし、何もしないままのわけにもいかない。
そんな時のボランティア活動だったわけで。

一年経とうとしている今、あえて「振り返れば」一つ一つを大事にしてただけで、それが線になって
いるだけだなぁ、という感じ。

親戚が津波の犠牲となり、ちょっと早い一周忌を迎えた際の、住職さんの御説法。
ほんほんとあまり前かがみに聞いてなかったけど、いいこといっぱい言ってたな。


かなり話がぶっ飛んだが、ようするに、できることから始めようって事ですよね。
自分が死ぬまでに、震災はなかったことには絶対にならない。死んでからも、ずっとずっと
傷は残り、戦う人たちが増え続けるのだろうなと。
だったらせめて、少しでも居心地のいい「国」として残していくことが、
今生きている国民の勤めなんじゃなかろうか、と。





2012年2月15日水曜日

Aの記憶

昨日ABAで放送した番組。
永瀬正敏氏が青森を撮る。っていう内容だったのだが、思った以上だった。

依頼を受け、綿密な企画書の提出から始まり、数ヶ月に渡り撮影し続ける。

なんていうか、着眼点がすごかった。
全部青森にあるはずなのに、気がつかなかった組み合わせ。
それを見てただただ感心した。
雪に埋もれたねぶたっ娘。あれ見て、なんか撃ち抜かれた感覚になった。


永瀬氏の祖父が写真館を経営するも、戦後詐欺にあい店をたたむ事に。
そのDNAが・・・って感じでは話していたが、人生に必然という事は本当にあるのだな、と。

加えて仕事柄でもそれ以外でも様々な人と会って写真を撮れる機会に恵まれる、っていう、
それだけでも自分とは天と地の差があるのだが、少しでもその感覚に近づければな、と。


トンネルの中で津軽三味線を弾く二代目高橋竹山。
廃墟の前にたたずむ人形と、手をつなぐ少女。
岬のカーブになじむように並び提灯を持つ少女たち。

究極はポートレート、と語っていた。

自分は人物をじっくり撮ったことがない。モデルがいない、というか、
頼んでまで撮れない。
自信がない。

某戦場カメラマンしかり、いつも「おぉっ」と思う写真はポートレートだった。
鬼気迫る写真もそれはおぉっと思うのだが、訴えかけてくるものが違う。

人物を撮れるようになるにはまだまだなんだと思うけども、
やっぱり人を撮りたいよなぁ、と改めて思った。


永瀬氏も、人を撮りたい、つながりたい、と言っていた。



昨日の夜の夢、とっても摩訶不思議な夢だった。
ものすごく和を強調していた気がする。永瀬氏の番組がとっても影響を受けていたようだった。

覚えているシーンは、ニューハーフ?な雰囲気の人(着物着用)と畳張りの部屋で
正座して対面する形。(相手は2人?だったような・・)
どうやら自分は、その人らを「指名」してのおもてなし?のような話しぶり。(ありがとうございます・・とか
そこでなにやら儀式のようなことが始まる。これもまた言い表せない世界観。独特。
途中何かが目の前に差し出される。
生の米(生っていうか、いわゆる袋から出しただけのような米)。
それを食べながら何かをしなければならないようだったので、わしづかみにして食う。
バリバリと食う。さすがに夢なので、大して違和感もなく気持ちよく食う。
すると後ろから見覚えのある女性が覗き込み、隣に座ってきた。

・・・このへんから覚えていない。

とにかく、こんな和な夢は何年ぶりだろうか、って事でした。