2012年3月21日水曜日

Aの記憶-俺なりの印象

ネタばれにはならないと思ってますが、受けた印象をば。
(あくまでもど素人の主観ですので)

まず、青森、という所が永瀬氏から見て(少なくとも外から見て)どうなのか。
それがよく表れていたのかな、という印象。

全体的に白。とにかく白(事実、モノクロが9割)、やはり北国・雪国であるが故なのだろう。
そしてポートレートも9割。撮ったことがないもので、すごいかどうかはコメントしにくいけど、
こういう写真、撮りたいな、ってすごく思える作品だった。

今回は単独鑑賞だったので、好き勝手(言い方悪いか)に見たり書いたり・・。
でもそのおかげ?で、久しぶりに「絵」を描いた。もちろん小学生並みのレベル・・・。
自分なりの「印象」をなるべくシンプルに、要点だけをわかりやすく。描いた(つもり)。

フロアは3つあり、ひとつはカラー、ひとつは映像を流しつつ、脇に数十点。もうひとつは
無数の写真をキレイに並べてあった。

カラーのところは、テレビでも放送していた部分でもあったので、撮影に至る経緯なども
鮮明に想い出され、わかりやすい部分もあった。

他はモノクロ。単純に、「何」をテーマに撮ったのか、というのをメモしてみた。

以下、順不同(キーワード)

水、馬、石、雪と木、畑、草履、笠、網、港、ドア、駅、電車、子供、線路、電柱、有刺鉄線、足跡、
白鳥、氷、ガラス(割れ)、道路、商店、野菜、薪(トラック積荷)、タンク、笛、雪かき、職人(作業)、
人(大人・子供、老人)、人形、七五三、スキー、祭り(ねぶた?)、祭り準備、砂浜、筆、ノミ(道具)、
写真家の妻、カメラ、寺山修司、ネコ、神社、俵、軽トラ、トンボ、夜道(雪道)・・・

他にもあったかもしれないが、だぶってるっぽいのも多々あったので・・・。

一つ一つ、丁寧に見ていきながら撮っていくのも楽しいのかもしれんね。

2012年3月18日日曜日

仙台出張+α

先月に引き続き、研修が仙台でありまして。
今回も後輩と2人でって予定でしたが、急遽単独となりまして。
新幹線チケの用意もすっかり任せるつもりだったのでまずはそこから・・。

前日にみどりの窓口でホテル付チケ買おうとしたら閉店だったというヲチ。
17:30までって、昼にしか行けねぇジャン・・しかも混むし・・。どゆことよ・・。
仕方がないので家でホテルだけ予約、当日乗車券のみ買うという、すごく
もったいない買い方になりましたが。

んで、常日頃からくちすっぱく言われております、俺に足りないスキル、
ホウレンソウってやつですね。それの研修だったわけでしたが。
長時間の講習は嫌いじゃないので、聞く分には飽きないんですが。メモずっと
取りっぱなしだし。暇ではない。
でも、グループワークは苦手というかなんというか。少人数はスキなんですが、
大人数で初対面って、まとまりが微妙な事が多くて不完全燃焼が多い。
カッチリ決めたいけどこの手のやつは時間がものすごく少ない。進行上仕方が
ないのだろうけど。

でも、毎度思うがグループの司会役の決め方ってほんといつも凝ってるなと思う。

今回は、まず集まってすぐに一人ずつ簡単な自己紹介しましょう、ってことで、
誰からでもいいです、どうぞ、と。
大体こういうときは皆さん様子を伺って周りを見渡してどうぞどうぞ状態になるので、
めんどくさい俺は、ハイ、じゃワタシからー、と開始した。で、一周終わって、
皆さんの名前を覚えましょう、ってんで、最初に名乗り出た人は、自分だけ名乗る。
その隣の人は、隣(俺)の名前を復唱して自分の名を言う、といった具合に増えて
いくやり方を実践。そして終わったらその逆。俺は開始点なので覚えなくて良しw
あー良かったー先に動いて。と思ったら。

次は司会役を決めましょう。名乗り出てください。・・・シーン(当然こうなる
では、皆さんで一斉に、司会にふさわしい人を指差しましょう。はい、せーの。

ビシ→全員の指が俺に向けられる

なるほど。こういうデメリットも・・。

で、悔やんでも仕方がないのでやり遂げる。
もちろん不完全燃焼ではあったが、最後講師からうちの班の内容を褒めてくれて、
俺の功績ではないにしろ、なんか、頑張って良かったなぁ。と思った。

で、慣れない地下鉄使いつつホテルチェックイン。
19:30となり、ぐったりまったり感も後押しして、外出るのどうすっかなぁ・・ってテンション。
とりあえず風呂入って、簡単に日記書いてみたりして、着替えしてからのー、よっしゃ!

で、メインイベントの、仙台放浪だったわけですが。

ホテルが国分町そばだったので、時間も時間だし、下調べした店は諦めることに。
焼き鳥とにかく食いたくて情報収集するも、どこがいいのやらさっぱり。
もうぶらぶらしながら決めようってことで、かなりぶらぶらしてみるも、よっしゃここ、
って店がない。仕方がないので煙モンモン出てる古ぼけたお店、

「いわき」へ。

店主一人でやっている、カウンター5?位と、座敷ひとつの小さな店。
焼き鳥盛り合わせと瓶ビールを頼む。中に入るとなかなか静かで、落ち着いて飲める感じ。

腹ごしらえというには足りない位だったけども、とりあえずオアイソ。
次に選んだ店、結構歩くとこだけどいい感じかなーって思って行ってみたが、
なんか外観が小奇麗すぎておしゃれ感のあるお店だったので、ちょっと違うかなー・・と
またブンチョウに戻ることに。(この時点で結構足ツラオ)
移動中に探しなおして、

「もつ蔵」

に入店。ここは結構にぎやかだった。
焼き鳥もんまかった。モツ煮込みもんまかった。そして日本酒がなかった。てことで泡盛。
これが結構きつかった。水割りにするんだった・・。
んで、店員さんに次のお店情報を聞いてみたりしてオアイソ。

情報聞いたのはいいが、なんかピンと来なかったのでもう少し歩いてみることに。
トイレ探すの大変なので、たちんぼのおっちゃんにトイレの場所を聞く。
お礼に、少しばかり談笑。
「かわいい子いるから、うちの店来てよ!」
「オッケェ!行くとこなかったら行くわ!」
そんな感じでお別れ。

トイレは近くのとあるビル1階に設置してあった。
たどり着くまでの通路にもお店がたくさんあって、逆にこじんまりしてるほうがいいかなー
と一通り散策。ここでピンときたお店が。

ニ ュ ー ハ ー フ バ ー

完全ガラス張りで丸見えなお店だったが、なんか中の人楽しそう。
ここに骨をうずめよう、ってことで入店。

「SHOT BAR jacqui's」
http://jacqui.is-mine.net/profile.html 
↑は古い情報のようで。今はこっちが最新↓

店員のダンディさん(名前忘れてしもた・・)は、以前4店舗を構えていたが、震災の影響で
閉めることとなり、ジャッキーさんに誘われて今、ここで働いているとの事だった。
ひょうきんな舘ひろしって感じだったような気がする・・・wおもろい人でした。
80年代musicをメインに流してるのもえがった。心地良いですはい。(EW&Fとか)

バーに一人で行くの何が楽しいって、知らん人としゃべれるのが楽しいっすよね。

最初にしゃべった「先生」と呼ばれる人は、いきなり放射能の単位の話を始めてみたり。
同年代なのにNPO法人立ち上げて海外支援・復興支援のお手伝いを頑張ってる人が来たり。
(最終的にはその人に次の店に連れて行かれ、もう何時に帰ったか記憶にござぁせん)
でも楽しいお店だった。お客さんも楽しい人ばっかだった。会話してない人からもお別れの
挨拶されたり・・。あったけぇ・・仙台・・。また来るぜ・・・。

そして、目が覚めると、ベッドシーツにしょうゆのしみが・・・。
そっか・・俺そういえば納豆巻き食って寝てたわ・・・。そして手をつけてない肉まんが転がっていた。
どんだけ肉まん王子やねん俺。どんな状況でも必ず買ってるこの精神力自分でもすげぇ。


時計を見ると、10:55

え?ちょwwwwwwwwwwwwwwwwwチェックアウツ何時wwwwwwwwwwwwwwww

幸い、11:00outでしたので、マッハで着替え、ソッコー出た。間に合った(かな?)

帰りの切符はとりあえず14:30にしといたけど、もうgdgdなので観光どころじゃないなと。
一本はやくしようってことで、飯だけ食って帰ることに。

さて牛タンのお店はー・・・と、何気に座ったバス停のイスの前に「喜助」が・・・。
もうここでいいわ、ってことで入店。
味噌味の定食をぺろりんちょ。んまかったです。

少し時間があったので、仙台駅内の喫茶店でマッタリ。
コーヒー飲みながら、簡単に日記を書いてみたりして、あとは会社用のおみやげ選んで終了。


本来は日帰り出張だったが、自腹切って満喫して良かった。ほんとよかった。いい出会いもあった。

2012年3月11日日曜日

節目 - 3.11

思ったことを淡々と。

1年を迎えられて良かった。(次の大地震が来ることなく、という意味で)
考えなければならない事はなにかを考えさせてくれた一年だった。
何事も動かなければ動かないことと同義なのだと思い知った。
コミュニティは近ければ近いほどいいのだと思った。
自分の小ささを悲観する前に大きくすることをまず考えるべきだとわかった。

。。。

んー、きりがないので、ようするに、前向きになった、ということか。
今まで自分はポジティブだ!と思っていたが、それがプラス思考とイコールではなかったなと。
ポジティブはアクティブとも似ている気がするけど、プラス思考って、ようするに都合がいいって
言うのを都合のいい言葉で言い換えただけなのかも、と。

何事もプラス思考に!って、なんかちょっと前までよく使われてたもんだけど。
言われたまんま、中身も吟味しねーで、あーそれいいね!って飛びつきすぎてたなぁ、と。
自分なりに精査して、良いか悪いかの判断なんて完璧には無理。どうしても信じるに値すると
思い込んでいる人の情報は必要。でもとりすぎてしまうと目的を見失う。
いいところでやめたいんだけど、やめられなくなる。どんどん不安になってくるから。
不安を取り除く作業のはずがどつぼにはまってくる。これじゃ意味ないわ、てとこまでくると、
ちょうどいいところでやめないといけない。でもみんなはどこでやめてるのか?

やめどきを考えるのも大事だし、必要な情報をとる方法も常に考えながら行わなきゃいけない。
とっても疲れることなんだけど、それもやめちゃったらおしまいな気がして怖い。

情報との付き合い方はむづかしーです。はい。


さて話がぶっ飛んだので。


今日は結局、野田村の追悼式に出席(といっても一般で、入場もできるかわからない状態だった)。
ただ、ボランティアとして何か手伝うことが当日発生したら、何かしようということで、
その話はリーダーにしておいて、あとは早めに現地入り、適当に待機。
ちらっと会場周辺を歩いてみたり、ぶらぶらしてみたものの、特にすることがないようで、
そうなると暇なわけで。てことで、道の駅で仮眠とってみたり、飯くいにいってみたり。
あ、途中、野田村へサクラを寄贈してくれた団体があったそうで、
その植樹式?みたいなことをやっていた。
311本頂いたそうだが、今のところこの本数を植える場所を決められる状態ではなく、
今回は3本だけ、役場前へ植えることとなったそうだ。
早く全てのサクラが植えられることを願うばかりである。(世話がめちゃ大変だそうだけど・・・)

で、その後はダラダラと過ごして、追悼式へ。

体育館で行ったわけですが、用意されたいすには満員、立ちでの参加者も大勢。
参加者は1000人?いったのかな。とにかくたくさんの人が来た。

来賓には北海道の某首長、弘前市長、岩手の議員などなど。
北リアスのリーダー渥美先生も。

式が始まり、各人の挨拶、途中からは天皇陛下の中継をはさむなど。
(野田しゅしょーのところはあんまり聞いてなかった、というか頭に入ってこなかった)
本当に日本のことを心配されている天皇陛下と、官僚に作ってもらった棒読み豚ちゃんの
内容を比べれば言うまでもなく陛下のほうが頭に残るに決まってるわけで・・。

君が代 斉唱(びびりなので小声で・・・)

そして14:46

黙祷と同時にサイレンが鳴り響いた。(テレビからなのか、体育館の外からなのかはわからなかった)

やっぱりというか、サイレンの音を聞いた瞬間、頭んなかでいろんな何かが湧き続けてきて、
なんだかわからないうちにちょっぴり泣いてしまっていた。
悲しいわけじゃないんだけど、悔しいわけじゃないんだけど、何かわからないけど、
泣くしかなかったような。


その後、献花もさせていただいて、無事、式は終わった。

節目というにはあまりに早すぎる表現かもしれないが、気持ちの整理、というか、
これから長く続くだろうお付き合いのほんの最初の1ページに、ポストイットを張ったような。
そんな感じで。










2012年3月9日金曜日

「横死」と定義してよいか

さて、まもなく一年ということで。
犠牲となった親戚の1周忌を先月前倒しで執り行ったのですが。

横死
http://kotobank.jp/word/%E6%A8%AA%E6%AD%BB

住職さんのお話に、横死という言葉が出てきました。


殺害されたり、災禍などのため、天命全うしないで死ぬこと。不慮の死。非業の死。「無念の―を遂げる」「旅先で―する」


天命を全うしないで、という部分が引っかかった、とのこと。
では天命とは何か。

http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E5%91%BD

天命とは一人一人に与えられた運命・使命なのかもしれないけども、
全うしないで死ぬこと=犠牲者 を同義として良いのか。
住職さんは、違うと言っていた。

人間とはそもそも、有る事難い存在である。と。
五体満足でいられている事がどれだけすごいことか、と。
有り難い、という言葉は一般的に感謝の意として知られているが、
一方で存在しがたい、珍しい、滅多にない、との意でもあり、
それが「ありがたい⇒ありがとう(という感謝の意)」となったのだ、と。



命は消えても、それが巡り巡って新しい命となるわけで。
(お墓から土に栄養が伝わり、それを植物が頂き、命が生まれたり、酸素となったり、と)
⇒それが、某曲にある「わたしはここにいません」という意味である、と


何を言いたいかわからんくなってきたが、ようするに、ちょっとだけ、前向きに考えよう、と
言いたかったのだと思う。
「今」生きている瞬間を「点」ととらえ、決して「線」としてとらえてはいけない、と。
線とは点の集合体であり、もともとあるものではない。線だけを見ていては今ある点が
見えなくなる。(線としてとらえると過去ばかりを気にしがちになる。と)


今できる事は何か、それは千差万別、答えはなくとも、ひとつひとつ大事に行動しましょう、
それが結果として最後に線となるわけだから、というお話だった。

と思うw



いつか書かないとなーと思ってたらもう1か月近くになり、記憶もあいまいに・・・。
ニュアンスだけでも残しておかないとねってことで。

2012年3月6日火曜日

今思えばャな感じな夢

夢を日記に残そうーと思った時に限ってすぐ忘れたり、書こうと思ってたこと自体忘れたりね。
んで、そういう時に限ってすごく楽しいやつとか、誰かに言いたくなるような内容でね。

そういう意味では、午後になっても記憶に残っている夢って、やっぱり楽しいもんじゃないなと。

姪っ子がいるんですがね。うん。
その姪っ子、リアルではもう家を建ててる所?かな。関東のほうで。
子供も二人目出産待ち。旦那さん尻に敷いてしっかりやっとるわけですが。
俺としてもこのまま暮らしてってほしいなぁと小さく祈ってるわけで。


こっから夢の話。
そんな姪っ子が、もう超おんぼろいお風呂にいてるんですよ、子供抱えて。
俺も見た事ないくらいおんぼろ風呂なんですよ。そこに俺もいるんだけども。
んで、お世辞にもキレイな水が出ていない水道使って、身体洗ったりしてる。
俺ももう見てられない状況。でも助けられない、なぜか。
そこへ旦那さん登場し、何が起こったか、離婚って話になってしまっていた。
しかしそれを既に悟っていたかのように、無反応の姪っ子。
映像としては、なんとなくだけど、全体的に白っぽいというか、粉っぽいというか、
とにかく虚構な感じ。

それを朝起きて鮮明に覚えてて、午後になってまたフラッシュバック。

ャな感じでしたってお話でした。