2012年3月11日日曜日

節目 - 3.11

思ったことを淡々と。

1年を迎えられて良かった。(次の大地震が来ることなく、という意味で)
考えなければならない事はなにかを考えさせてくれた一年だった。
何事も動かなければ動かないことと同義なのだと思い知った。
コミュニティは近ければ近いほどいいのだと思った。
自分の小ささを悲観する前に大きくすることをまず考えるべきだとわかった。

。。。

んー、きりがないので、ようするに、前向きになった、ということか。
今まで自分はポジティブだ!と思っていたが、それがプラス思考とイコールではなかったなと。
ポジティブはアクティブとも似ている気がするけど、プラス思考って、ようするに都合がいいって
言うのを都合のいい言葉で言い換えただけなのかも、と。

何事もプラス思考に!って、なんかちょっと前までよく使われてたもんだけど。
言われたまんま、中身も吟味しねーで、あーそれいいね!って飛びつきすぎてたなぁ、と。
自分なりに精査して、良いか悪いかの判断なんて完璧には無理。どうしても信じるに値すると
思い込んでいる人の情報は必要。でもとりすぎてしまうと目的を見失う。
いいところでやめたいんだけど、やめられなくなる。どんどん不安になってくるから。
不安を取り除く作業のはずがどつぼにはまってくる。これじゃ意味ないわ、てとこまでくると、
ちょうどいいところでやめないといけない。でもみんなはどこでやめてるのか?

やめどきを考えるのも大事だし、必要な情報をとる方法も常に考えながら行わなきゃいけない。
とっても疲れることなんだけど、それもやめちゃったらおしまいな気がして怖い。

情報との付き合い方はむづかしーです。はい。


さて話がぶっ飛んだので。


今日は結局、野田村の追悼式に出席(といっても一般で、入場もできるかわからない状態だった)。
ただ、ボランティアとして何か手伝うことが当日発生したら、何かしようということで、
その話はリーダーにしておいて、あとは早めに現地入り、適当に待機。
ちらっと会場周辺を歩いてみたり、ぶらぶらしてみたものの、特にすることがないようで、
そうなると暇なわけで。てことで、道の駅で仮眠とってみたり、飯くいにいってみたり。
あ、途中、野田村へサクラを寄贈してくれた団体があったそうで、
その植樹式?みたいなことをやっていた。
311本頂いたそうだが、今のところこの本数を植える場所を決められる状態ではなく、
今回は3本だけ、役場前へ植えることとなったそうだ。
早く全てのサクラが植えられることを願うばかりである。(世話がめちゃ大変だそうだけど・・・)

で、その後はダラダラと過ごして、追悼式へ。

体育館で行ったわけですが、用意されたいすには満員、立ちでの参加者も大勢。
参加者は1000人?いったのかな。とにかくたくさんの人が来た。

来賓には北海道の某首長、弘前市長、岩手の議員などなど。
北リアスのリーダー渥美先生も。

式が始まり、各人の挨拶、途中からは天皇陛下の中継をはさむなど。
(野田しゅしょーのところはあんまり聞いてなかった、というか頭に入ってこなかった)
本当に日本のことを心配されている天皇陛下と、官僚に作ってもらった棒読み豚ちゃんの
内容を比べれば言うまでもなく陛下のほうが頭に残るに決まってるわけで・・。

君が代 斉唱(びびりなので小声で・・・)

そして14:46

黙祷と同時にサイレンが鳴り響いた。(テレビからなのか、体育館の外からなのかはわからなかった)

やっぱりというか、サイレンの音を聞いた瞬間、頭んなかでいろんな何かが湧き続けてきて、
なんだかわからないうちにちょっぴり泣いてしまっていた。
悲しいわけじゃないんだけど、悔しいわけじゃないんだけど、何かわからないけど、
泣くしかなかったような。


その後、献花もさせていただいて、無事、式は終わった。

節目というにはあまりに早すぎる表現かもしれないが、気持ちの整理、というか、
これから長く続くだろうお付き合いのほんの最初の1ページに、ポストイットを張ったような。
そんな感じで。










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