2012年3月9日金曜日

「横死」と定義してよいか

さて、まもなく一年ということで。
犠牲となった親戚の1周忌を先月前倒しで執り行ったのですが。

横死
http://kotobank.jp/word/%E6%A8%AA%E6%AD%BB

住職さんのお話に、横死という言葉が出てきました。


殺害されたり、災禍などのため、天命全うしないで死ぬこと。不慮の死。非業の死。「無念の―を遂げる」「旅先で―する」


天命を全うしないで、という部分が引っかかった、とのこと。
では天命とは何か。

http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E5%91%BD

天命とは一人一人に与えられた運命・使命なのかもしれないけども、
全うしないで死ぬこと=犠牲者 を同義として良いのか。
住職さんは、違うと言っていた。

人間とはそもそも、有る事難い存在である。と。
五体満足でいられている事がどれだけすごいことか、と。
有り難い、という言葉は一般的に感謝の意として知られているが、
一方で存在しがたい、珍しい、滅多にない、との意でもあり、
それが「ありがたい⇒ありがとう(という感謝の意)」となったのだ、と。



命は消えても、それが巡り巡って新しい命となるわけで。
(お墓から土に栄養が伝わり、それを植物が頂き、命が生まれたり、酸素となったり、と)
⇒それが、某曲にある「わたしはここにいません」という意味である、と


何を言いたいかわからんくなってきたが、ようするに、ちょっとだけ、前向きに考えよう、と
言いたかったのだと思う。
「今」生きている瞬間を「点」ととらえ、決して「線」としてとらえてはいけない、と。
線とは点の集合体であり、もともとあるものではない。線だけを見ていては今ある点が
見えなくなる。(線としてとらえると過去ばかりを気にしがちになる。と)


今できる事は何か、それは千差万別、答えはなくとも、ひとつひとつ大事に行動しましょう、
それが結果として最後に線となるわけだから、というお話だった。

と思うw



いつか書かないとなーと思ってたらもう1か月近くになり、記憶もあいまいに・・・。
ニュアンスだけでも残しておかないとねってことで。

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